モルヒネの中毒性と禁断症状の怖ろしさは映画や文学作品にも登場し、広く知られる。
モルヒネはなぜ耽溺性を持つのか。人体を破壊する仕組みを生化学的に説明しよう。
【*本記事は佐藤健太郎『世界史を変えた薬』を抜粋・編集したものです。】
なぜ、モルヒネは「耽溺性」を持つのか
アヘンの主成分であるモルヒネは、なぜ人に多幸感を与え、耽溺性を持つのだろうか?
その解明が始まったのは、1970年代のことであった。アメリカとスウェーデンの3つの研究グループが、人間の脳内にモルヒネがとりつく場所があることを、ほぼ同時に発見したのだ。このように、ある特定の分子が結合し、情報を受け取る部位を、「受容体」と称する。
しかし、なぜこのような受容体が存在しているのだろうか?
ある種のケシだけが生産する、特殊な物質のための受容体を、人体がわざわざ用意しているはずはない。ということは、人体はこの受容体に結合する物質を、自ら生産していると考えられる。
受容体を鍵穴とすれば、モルヒネはたまたまそこにはまってしまうだけの偽の鍵であり、脳内には「本物の鍵」が存在しているはず、というわけだ。
人間に快楽の感覚を引き起こす「本物の鍵」こそは、脳の謎に大きく関わる重要物質に違いない。生化学者たちは、この発見に色めき立った。
モルヒネと「エンドルフィン」
こうして1970年代から1980年代にかけて、「本物の鍵」の正体が次々に明らかになった。これらは、アミノ酸が5個から三十数個連結した、「ペプチド」と呼ばれる簡単な物質群で、「エンドルフィン」と総称される。
モルヒネは、エンドルフィンの先頭部分によく似た構造をしており、受容体に結合して同じように作用できるのだ。
エンドルフィンは、外傷やストレスを受けた際に放出され、その苦痛を和らげる。たとえば長距離走者が感じる高揚感(ランナーズ・ハイ)は、苦しみを緩和するためのエンドルフィン分泌によるものとされる。また社会的連帯感・安心感や、謎を解いた時、知識を得た時の満足感などにも、エンドルフィンが関わっていると見られている。
エンドルフィンとその受容体は、人間の多くの行動の動機に関係する、極めて重要な系なのだ。
鼻水、発汗、震え、嘔吐……
モルヒネはこの系に入り込み、かりそめの、しかし深い快感を与える。こうしてモルヒネを投与し続けると、生体は「現在のところエンドルフィンの量は十分である」と判断し、生産を止めてしまう。
このためやがてモルヒネが切れると、体はエンドルフィン不足となり、強い不快を感じる。これが麻薬の禁断症状だ。モルヒネを投与すればこれは治まるが、エンドルフィン生産能力はさらに落ち、次回はさらに多量のモルヒネを求めるようになる。まさに悪循環だ。
モルヒネの禁断症状は、何ともいえない全身のだるさ、不眠、鼻水、発汗、震え、激しい頭痛や腹痛、嘔吐などなど、まさに地獄としかいいようがない症状の数々として現れる。
たかだか原子40個の塊に過ぎないモルヒネが、人体という恐ろしく複雑なシステムを破壊する力を備えているとは、実に驚くべきことという他ない。