市駐車場の下に眠っていた八幡遺跡、掘ったら江戸時代の道路が出た 都城

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 用途不明のレンガ構造物(手前)などが出土した八幡遺跡=都城市八幡町

八幡遺跡から出土した薩摩焼や肥前系陶磁器について説明する都城市文化財課職員=都城市八幡町

 八幡遺跡から出土した薩摩焼や肥前系陶磁器について説明する都城市文化財課職員=都城市八幡町

 宮崎県の都城市教育委員会は4月末に発掘調査を終えた同市八幡町の八幡遺跡で、江戸時代に都城島津家が編さんした地誌「庄内地理志」の絵図に符合する道路遺構を確認した。5月13日開いた現地説明会で、市教委文化財課は「当時の町割りの解明につながる貴重な成果」と説明した。
 同遺跡は面積1000平方メートル。庄内地理志によると、江戸期は都城島津家の領主館に隣接し、武家屋敷があった。1960年代には検察庁舎があり、近年は市駐車場として使われてきた。中心市街地居住推進事業で共同住宅が建設されることに伴い市教委が昨年10月から発掘調査を行ってきた。
 遺跡からは、幅3メートルの道路遺構のほか、武家屋敷に付随するとみられる竪穴状の大型土坑(どこう)や溝状遺構などを確認。江戸時代の薩摩焼や肥前(現在の佐賀県)系陶磁器も大量に出土した。
 さらに、近現代に造られたとみられるレンガ造りの構造物も2カ所で見つかった。うち北西端の物はクランク状になった通路奥に地下室が設けられていた。何のために造られたかは不明。市教委文化財課の喜屋武彩花主事(24)は「土地の履歴を追跡し、用途を明らかにしたい」と話した。