仲宗根美樹さん死去 歌手

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仲宗根美樹さん(日本歌手協会提供)

 仲宗根 美樹さん(なかそね・みき、本名国場勝子=くにば・かつこ=歌手)24日午後0時5分、肺がんのため東京都内の病院で死去、79歳。東京都出身。葬儀は親族で済ませた。喪主は長女国場亜紀(くにば・あき)さん。

〔写真特集〕追悼2024

 61年に歌手デビューし、同年の「川は流れる」が大ヒット。沖縄県出身の両親を持ち、「奄美恋しや」「永良部百合の花」などの島唄や沖縄ソングも歌った。NHK紅白歌合戦に5回出場。結婚を機に71年に引退したが、98年に歌手復帰した。

仲宗根美樹さん死去 “歌手仲間”田辺靖雄&園まりが追悼コメント「何しろ華やかな方でした」

 「川は流れる」などで知られる歌手の仲宗根美樹(なかそね・みき、本名・國場勝子=くにば・かつこ)さんが24日午後12時5分、肺がんのため東京都内の病院で死去した。79歳だった。日本歌手協会が29日、発表した。訃報を受け、歌手仲間から追悼のコメントが寄せられた。

(左から)田辺靖雄、園まり(C)ORICON-NewS-inc

(左から)田辺靖雄、園まり(C)ORICON-NewS-inc

 日本歌手協会の会長を務める田辺靖雄は「ただただ驚いています。何しろ華やかな方でした。同年代ですからね。でも彼女のほうが先に大スターになって、実は『川は流れる』は自分のお小遣いで買った最初のレコードだったんですよ。いい歌で、エキゾチックなフィーリングと独特な声が印象的でした」としみじみ回顧した。

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 「私が『紅白』の2回目のときは、紅組の相手が確か美樹さんで、当時の『紅白』は真剣勝負でお互いに『負けないよ』って言っていたことを思い出します」とエピソードを紹介。「そのあとは実業家として歩んでおられたんでお会いしませんでしたが、復帰してからは歌手協会の『歌語祭』などで時々、『川は流れる』を歌っていただき、うれしかったものです。どうぞあちらの世界でも華やかに明るくみんなを楽しませてあげてください」と悼んだ。
園まりは「えっ?このごろ電話もしていなかったから『元気かな?』って思っていました。何しろ東洋音楽学校の同級生ですからね。少女時代から一緒に歩いてきた仲間です」と述懐。「学校時代に美樹ちゃんのほうが先にデピューして『川は流れる』で大ヒット。そのあとすぐに私は『鍛冶屋のルンバ』っていう歌でデビューしたんだけれど、その人気の差ったらすごくって…。ある日豊島公会堂だったと思うんですが、番組の公開緑音で一緒になったの。客席から美樹ちゃんにぱかり花束が来てね、私はまだ売れてないからひとつも来なくて。そうしたらステージ上で美樹ちゃんが私にその花束をひとつくれてね。やさしい人でしたよ。もっともっと一緒に歌ったりしゃべったりして80代を迎えたかったと思います。美樹ちゃんの分まで私頑張るからね。これからも見守っていてくださいね!」と誓った。