ヤマト政権が証拠隠滅?中国の歴史書がカギを握る!日本史上最大ミステリー「空白の150年」に迫るヤマト政権が証拠隠滅?中国の歴史書がカギを握る!日本史上最大ミステリー「空白の150年」に迫る

紀元前1万4千年から続く日本の歴史において、一切の記録が残されていない「空白の150年」があったことはご存知でしょうか。

それは4~5世紀のことで、日本をヤマト政権が統一していた時期です。

一体、何があったのか詳しく見ていきましょう。

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中国の歴史書が唯一の手がかり!古代日本の謎

日本国内で古代日本に関する情報はほとんど見つかっていません。 しかし、中国の歴史書「魏志倭人伝」には、わずかな記録が残されていました。

それは、日本が周辺国から「倭」とよばれていた239年(3世紀)に、30以上の集落を束ねていた邪馬台国の女王・卑弥呼からの使者が訪ねてきたということ。さらに、266年に卑弥呼の後を継いだ女王・台与の使者がやってきたことも記録されています。

しかし以降は、日本に関する記述が途絶え、一切が不明。 次に日本が歴史上に登場したのは約150年後のことでした。

古代日本を紐解く

中国史での記録が途絶えた150年間において、日本はどうなっていたのでしょうか。

当時の日本は邪馬台国の時代が終わりを迎え、新たなる時代の幕開け「ヤマト王権」が誕生していました。

ヤマト王権では、豪族とよばれる各地域の支配者らが権力を握っています。また、その頂点に君臨したのが「大君」とよばれた、のちの天皇です。

確認されている日本史上で初となる日本の統一、そして国家の出現。このとき日本は、激動の時期にあったことが分かります。

150年で大きく変化した日本

「空白の150年」において、日本が変化したのは国家体制だけではありませんでした。

魏志倭人伝によると、「空白の150年」より以前の日本は、馬や牛が存在しない国だったと記されています。しかし、ヤマト王権時代の遺跡や遺構からは、馬骨や馬具が大量に出土。馬が生活や戦闘の際に利用されるなど、身近な存在であったことが考えられます。

また、中国の歴史書「晋書」には邪馬台国に「男性の入れ墨文化」が存在していたことが記載されていますが、ヤマト王権時代になると「入れ墨=罪人」の文化が根付くなど、入れ墨に対する意識に大きな変化が生じていました。

日本についての記述が消えた理由

冒頭でも触れていますが、古代日本は隣国の中国に比べて文化が発達していなかったため、当時のことを記録した書物などは残っていません。さらに、古代日本の存在を記した魏志倭人伝や晋書などほかの歴史書からも、ヤマト王権時代に関する記述だけがぽっかりと抜けていたのです。

これが、「空白の150年」とよばれている期間。この期間については、当時の中国で国内最大規模の戦国時代が勃発したために、国外である日本にまで意識が届かず魏志倭人伝や晋書などの歴史書にも記されなかったのではないかと考えられています。

また、強大な力を保持したヤマト王権が邪馬台国を滅ぼし、この情報を抹消したのではないかと考える陰謀論説も存在するようです。

さまざまな想像を膨らませながら、いつか真実が解き明かされるときを楽しみに待ちたいものですね。