焼失の目白御殿、石破氏「権勢の絶頂を表していた」…ロッキード事件の舞台にも

 田中角栄元首相の権力の象徴で、「目白御殿」の異名を持つ東京・目白台の旧田中邸が火災で焼失した。田中氏が健在だった時代には大物政治家や陳情客がひっきりなしに訪れ、昭和政治の舞台となった。往時を知る関係者は突然の出来事に言葉を失った。

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火事があった田中角栄元首相の自宅だった建物(8日午後4時17分、東京都文京区で、本社ヘリから)=源幸正倫撮影

 1972年、54歳で戦後最年少(当時)の首相に上り詰めた田中氏。76年に「戦後最大の疑獄」と呼ばれたロッキード事件で逮捕された後も、「目白の闇将軍」と呼ばれ、権勢を振るった。今回焼失した住宅などからなる旧田中邸には、72~74年の首相在任期を中心に連日多くの政治家らが足を運び、その様子は「目白詣で」と呼ばれた。田中氏も周囲に「日本の政治は目白で決まるんだ」と豪語したとされる。

田中元首相邸から引き揚げる田中派の議員ら(1983年)田中元首相邸から引き揚げる田中派の議員ら(1983年)田中角栄元首相(左)を東京・目白台の私邸に表敬訪問した中国の江沢民総書記(右)(1992年4月7日)田中角栄元首相(左)を東京・目白台の私邸に表敬訪問した中国の江沢民総書記(右)(1992年4月7日)

 86年の衆院選で初当選する前、田中派事務局に勤務し、旧田中邸に出入りしていた自民党の石破茂・元幹事長は8日、読売新聞の取材に、「全国から集まる陳情者が1組5分で面会し、その場で答えが出た。閣僚や党幹部、国会議員、地方の首長は皆、目白に集まった」と振り返った。「庭や応接間が広く、豪華な地方の公民館のようだった。待合室には30~40人が入れた」と話した。

 旧田中邸は数々の歴史の節目を見届けた。田中氏がロッキード事件で東京地検特捜部に逮捕された際、出頭したのは旧田中邸からだった。航空機の機種選定を巡る商社元幹部との面会も旧田中邸で行われたとされ、特捜部の捜索も受けた。

 87年の元日、後に首相となる自民党の竹下登幹事長があいさつに出向き、玄関先で門前払いされたことでも知られる。田中氏は、85年に竹下氏が「創政会」を旗揚げしたことに激怒し、脳 梗塞こうそく で倒れ、療養中だった。

 首相在任中の72年に日中国交正常化を成し遂げただけあって、中国要人の来訪も多かった。政界引退後の92年4月には中国共産党の 江沢民ジアンズォーミン 総書記が訪れた。

 石破氏は、「田中氏の権勢の絶頂を表していた。二度とああいう場所は生まれないだろう。時代の象徴がなくなってしまった」と語った。