なぜ先進国で日本“だけ”緩和姿勢を崩さないのか?欧米と異なる日本経済の事情

【連載】エコノミスト藤代宏一の「金融政策徹底解剖」

日銀の金融政策を読む上で重要な8月の毎月勤労統計(10月6日発表)は、賃金上昇率がやや勢いを失いつつあることを示したが、先進国で唯一金融緩和を進める日本の金融政策の見通しに、大きな影響を与えるものではなかった。そのような中、筆者は10月に金融政策の微調整がある可能性、そしてマイナス金利解除は2024年前半と予想する。現在の政策指針(フォワードガイダンス)や植田総裁、内田副総裁、田村委員の発言を読み解きつつ、その根拠について解説する。

執筆:第一生命経済研究所 経済調査部 主席エコノミスト 藤代宏一

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日銀の野口審議委員は、12日の記者会見で「再調整が必要だとは現在のところみていない」と述べている

日銀にとって追い風?8月の勤労統計の結果

 賃金上昇率が鈍化していることそれ自体は日銀にとって逆風だが、物価が2%を明確に上回る中で「基調的なインフレ率は2%に届いてない」と説明する日銀からすれば、このように弱さを含むデータはある意味都合が良いかもしれない。
 日銀が推計する需給ギャップは4-6月期にマイナス幅が縮小したとはいえ、依然としてプラス圏に浮上せず、欧米のような賃金上昇率が観察されていない。この点において、現在の日本経済は強烈な金融引き締めを必要とする欧米とは明確に事情が異なる。欧米の金融引き締めをよそに、緩和姿勢を維持する背景を説明するにあたっては有用なデータにみえる。
 8月毎月勤労統計によるとヘッドラインである現金給与総額は前年比プラス1.1%と減速感が認められた。春闘の結果が反映され始めた5月にプラス2.9%まで伸びを高めた後、7・8月は1%近傍で推移した。
 このうち基本給に相当する概念である所定内給与は、プラス1.6%と2022年度対比で加速傾向にある一方、振れの大きい特別給与(≒賞与、一時金)がマイナス5.6%と大幅に減少し、所定外給与(≒残業代)もプラス1.0%と弱めの動きであった。
 基調的な賃金を把握する上で重視すべき一般労働者(≒正社員)の所定内給与もプラス1.5%とやや減速感が認められた(7月はプラス2.0%)。

気がかりな「所定外給与」の減速傾向

 サンプル変更の影響を受けにくい共通事業所版をみると、現金給与総額が前年比プラス1.3%、所定内給与がプラス1.9%、所定外給与がプラスマイナス0.0%、特別給与がマイナス7.1%であった。一般労働者の所定内給与は7月のプラス2.4%の後、8月はプラス1.8%と2%近傍で推移している。
 一般労働者の所定内給与は、実勢として春闘賃上げ率(ベア相当部分)の2%をやや下回る水準で推移しており、それ自体は企業の賃金設定スタンスが変容したことを物語っている。
 物価上昇率を2%程度で安定的に推移させるために必要とされる賃金上昇率3%を下回っているとはいえ、1990年代半ば以来経験したことのない高い伸びであり、大きな変化であることは間違いない。
 他方、ここへ来てやや気がかりなのは、所定外給与の減速傾向。国内のペントアップデマンド(コロナ期に先送りされた需要、たとえば旅行・外食・催事)が一巡しつつある他、海外経済の減速が響いていると考えられ、卸売業・小売業では所定外労働時間(≒残業時間)が前年比マイナス2.8%、製造業ではマイナス7.3%と減少し、全体の残業代減少につながっている。

画像賃上げにより所定内給与は増加したものの、所定外給与は増加幅縮小

 なお、特別給の減少について特定の原因は不明だが、もしこれが9月以降も継続するならば注意が必要だ。「固定費である基本給の増加を賞与や手当の削減によって相殺する」というデフレ的(日本的?)な企業経営の残存を疑わざるを得ないためだ。