ハマスの「イスラエル攻撃」で泥沼の構図に引きずりこまれた欧米諸国と「日本の取るべき立場」

篠田 英朗
東京外国語大学教授  国際関係論、平和構築

終わりなき「対テロ戦争」:三つの戦争の構図の泥沼にはまる欧米諸国

ハマスによるイスラエル領内での凄惨なテロ攻撃に対して、イスラエルが苛烈な報復攻撃を始めた。ハマス(あるいは「ハマス等テロリスト勢力」)のテロ攻撃は凄惨であるだけではない。ガザ地区住民の生活を犠牲にして、イスラエルの過剰反応を引き出すことを狙った行為だと言わざるを得ない点で、極めて陰湿なものだった。

これに対してイスラエルが、自らも別の戦争犯罪行為を行うことを辞さない苛烈な態度でガザを攻撃し、地上軍を攻め込ませようとしている。ハマスを軍事的に圧倒することはできるだろう。しかしガザ全体を長期にわたって完全に平穏にして統治することは難しい。パレスチナ問題全体や周辺諸国との外交関係の悪化も避けられないだろう。イスラエルとの団結を示す欧米諸国は、共犯関係に入ることを辞さない覚悟を内外に示して、イスラム圏全域との関係悪化に陥る負の連鎖に入った。

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今回の事件を見てわれわれが痛感すべきなのは、「世界的な対テロ戦争(Global War on Terror: GWOT)」は終わっていない、ということだ。2021年のアフガニスタンからの完全撤退で、屈辱に打ちひしがれながらも、アメリカとその同盟国は「世界的な対テロ戦争」はもう終わった、という気持ちに浸った。2022年2月のロシアのウクライナ全面侵攻に直面し、今度は伝統的な正規戦が重要だ、という議論が華やかになった。「西側vsロシア」という冷戦時代の対立の構図が、再び重要議題となった。だが、冷戦終焉の後処理が終わっていなかったことが判明したことは、「対テロ戦争」が終わったことの裏付けにはならない。

「対テロ戦争」は終わっていない。今またアメリカを中心とする欧米諸国は、イスラエルが旗を振る「対テロ戦争」に、新たな形の関与を始めようとしている。

アメリカと中国の間の「超大国間競争」も熾烈なままである。背景には、「民主主義諸国vs権威主義諸国」という世界的規模での大きな対立の構図がある。冷戦終焉以降増加し続けていた世界の民主主義国の数は、近年になって顕著な減少傾向を見せている。東アジアで米中対立の構図が最も深刻だが、中国の影響力は世界的規模の問題ではある。

冷戦の後処理(ロシアの拡張主義への対抗)、米中対立(権威主義に対する民主主義の防御)、そして対テロ戦争(イスラム過激派勢力の封じ込め)という三つの世界的規模の戦争の構図は、すべて同時進行で続行中である。

日本の同盟国であるアメリカは、これら三つの戦争の構図のそれぞれで大きな役割を担う超大国である。果たして持ちこたえられるのか。

戦争犯罪の負の連鎖と共犯関係の拡散

ハマスの勢力は、ガザ地区内でも、海外からの支援の面でも、減退気味であった。今回の凄惨なテロ攻撃は、暴発的な作戦を行い、イスラエルに過激な反応をさせることによって、あらためて存在感を高めることを狙った行為であったと言える。それに対し、イスラエル政府も、イスラエルとの連帯を表明した欧米諸国も、ハマスの計算通りに過剰反応しようとしている。

イスラエルでは、悪評高い司法改革で、ネタニヤフ首相が支持を失っていたところだった。自らの保身のための起死回生の作戦とすることを狙っているかのような扇動的な態度で、ハマス撲滅のための軍事作戦を開始した。開始当初を見ると、その内容は、懸念だらけだ。

まずガザ地区全域で水・食料・電気・燃料・医薬品等を止める「完全封鎖」なるものを行った。これは一般市民を「集団懲罰」する明白な戦争犯罪行為である。また住民に避難せよと警告しているとも言われるが不明瞭なものであり、実質的に無警告に近い状態になっていないか懸念がある。ハマス関連施設だけを攻撃しているというイスラエル軍のわずかな広報内容(後付けで公開)と矛盾して広範に被害が出る爆撃をしている懸念がある(その印象を与える動画がいち早く世界中に拡散されている)。少なくとも数多くの民生施設が破壊されていることが確認されている。そもそもイスラエルのハマス関連施設の定義は広すぎて、ガザにあるもの全てが該当してしまうようなものだ。少なくとも国際的な基準にそったものではない。これから地上戦が開始されるというが、イスラエルによる明白な戦争犯罪あるいは戦争犯罪が強く疑われる行為が助長されていかないか、懸念は高まる一方である。

この戦争犯罪行為の負の連鎖は、ハマスがイスラエルを引き込もうと画策した構図であると言わざるを得ない。欧米諸国は、衝撃的なテロ攻撃の報道に接し、自国民の犠牲者が出たこともあり、強い調子でイスラエルとの連帯を表明し、無条件で支援し続けるかのような態度を見せている。イスラエルの戦争犯罪行為を抑制しようとする態度が見られない。残念ながら、このままではイスラエルとの共犯関係に入っていってしまう。

出口なきイスラエルの政策

そもそもハマスの徹底殲滅と言えば、何か政策があるようにも感じるが、戦争犯罪を多数含む報復的軍事行動が、長期的に何を目指しているのかは、不明だと言わざるを得ない。

今回の事件は、これまでのガザ地区に対する徹底した分離・封鎖政策の破綻を意味するだろう。分離・封鎖によってイスラエルの安全が高まったという意識は、イスラエル人の錯覚であった。ハマスが、封鎖地域に、大規模な攻撃のための武器を大量に持ち込むことに成功していたからである。もちろんそれは一過性の攻撃を大規模に行うための武器を持ち込んでいた、という意味でしかない。ハマスが継続的にイスラエル軍に対抗できる能力を保持していたとは思われない。それでも絶対的な安全神話を打ち立ててしまっているイスラエルとしては、今回の攻撃を絶対に許容できない水準のものであるとみなしており、これまでの分離・封鎖政策を大幅に見直していかざるをえないだろう。

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しかし、軍事力ではイスラエル軍がハマスを圧倒することは言うまでもないとして、200万人の住民を持つガザ地区を今後このような暴力的なやり方だけでイスラエル政府が統治し続けていけるとは思えない。長期的かつ積極的にガザ地区内の不穏分子の撲滅を図っていくとすれば、それはガザ地区の住民に対してよりいっそう苛烈な占領統治を取るということだ。反発を鎮圧し続けていけばいくほど、国際世論は反イスラエルになびく。果たして撲滅活動の継続は可能か。

イスラエルでは、今回のハマスのテロ攻撃が、イスラエルにとっての9・11だ、と言われているという。そうだとすれば、アメリカが9・11後に行ったアフガニスタンとイラクでの軍事活動が、多大な人的・財政的犠牲を払ったうえで、政治的威信を失墜させる撤退で終わったことを、イスラエル政府はよく考えなければならない。

また、近年に積み上げてきたイスラエルの外交努力は水泡に帰し、中東での孤立が高まることが必至だ。イスラエルとの連帯を表明している欧米諸国もまた、その構図に引きずり込まれて、戦争犯罪の共犯扱いをされ、中東あるいはイスラム圏全域での評価を下げる見込みを強めている。

ロシアのウクライナ全面侵攻に対して、自らは直接参戦せず、ウクライナへの大々的な支援を提供するだけにとどめているアメリカをはじめとする欧米諸国は、ハマスの脅威にさらされたイスエラルのガザ侵攻にあたっても、もちろん直接的な参戦まではしないだろう。しかしイスラエルに全面的な支援を提供して、ここでも最も有力な関与国となるのであれば、ロシア・ウクライナ戦争の場合よりもさらに、国際世論においては、特にイスラム圏においては、欧米諸国は事実上の当事国に近い扱いを受けてしまうことになる。待ち受けているのは、「対テロ戦争」の泥沼の構図の再確認である。

イスラエル・パレスチナ紛争と結びつく「対テロ戦争」

イスラエル・パレスチナ問題は、第二次世界大戦後一貫して続いている世界の紛争問題の代表的事例の一つである。イスラム圏全域において、当事者意識を持った高い関心が持たれているという特異な性格も持つ。この紛争は、冷戦中は、米ソの対立構図と複雑な関係を持ちながら、動いていた。

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冷戦終焉直後に勃発した1991年湾岸戦争は、中東情勢においても欧米諸国に有利な政治情勢の転換を起こした。サダム・フセイン支持を表明して権威を失墜させ、中東諸国政府からも見限られたアラファト議長のパレスチナ解放戦線(PLO)は、アメリカの調停による和平合意を受け入れざるを得なくなった。締結後すぐに「オスロ―合意」は頓挫していくのだが、その主要な原因は、イスラエル国内の極右勢力だった。しかし、パレスチナ側に不利な構図は続き、イスラエル有利な情勢での問題の封じ込めの構図が続いた。その後、アメリカがアフガニスタンやイラクに侵攻したり、「アラブの春」以降に中東各地で戦争の波が広がり続けたりしていく中で、イスラエル・パレスチナ問題は、「対テロ戦争」と慎重に切り離され続けた。

今回のハマスのイスラエルへのテロ攻撃は、この湾岸戦争以降の流れを変える要素を持っている。イスラエル及びそれを支援する欧米諸国は、「対テロ戦争」の論理で、ハマス及びその他の過激派勢力と対峙し続けていく構えだ。しかしそのような態度は、問題の元凶はイスラエルの強権的な占領政策にあるとみなし、それを不問に付す欧米諸国を共犯者とみなしていくイスラム圏諸国の見方を強める結果をもたらすだろう。イスラエル・パレスチナ紛争が、「世界的な対テロ戦争」と結びついていく、ということである。

「対テロ戦争」の負の影響の拡散

この新たな「対テロ戦争」の構図は、中東をこえて、世界各地の紛争問題に負の影響を与えていく要素をもっている。

ロシア・ウクライナ戦争は、いよいよ欧米ブロックvsロシアの縄張り争いだとイスラム圏でみなされる度合いは高まり、解決に向けた多国間外交・国際世論喚起は、欧米諸国が強力に支援するウクライナに不利に働くだろう。そもそもロシアの全面侵攻に国際的な注目が吸い寄せられていた状態こそが、ハマスが打破したかった状態であったはずだ。ウクライナのゼレンシキー大統領は繰り返しイスラエルとの連帯を表明し、プーチンとハマスを同一視する発言を繰り返している。自ら積極的に、泥沼の中東情勢と、ロシア・ウクライナ戦争を積極的に結び付けようとしているのである。ゼレンシキー大統領とともに、欧米諸国は、ハマスが仕掛けた罠にはまった、と言わざるを得ない。

アフリカでもイスラム過激派主義勢力の活動は深刻な問題だ。従来は、中東に近いソマリアを中心とする東アフリカ情勢が深刻であった。ところが近年では、イスラム過激主義勢力がアフリカ大陸全域に広がるような勢いを見せている。過激派勢力の封じ込めに無力な既存の政府機構は脆弱化の度合いを高め、マリ、ブルキナファソ、ニジェールといった西アフリカのサヘル地域の諸国で、クーデタの連鎖が止まらなくなっている。

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中国は、国際世論の緊張の渦中で摩耗する欧米諸国をしり目に、イスラム圏やアフリカの権威主義体制諸国との関係強化に努めていくだろう。

ロシア、中国、そしてイスラム過激主義勢力と、冷戦終焉の処理、米中の超大国間対立、そして続行する対テロ戦争と、三つの大きな世界的規模での戦争の構図に引き込まれているアメリカを中心とする欧米諸国は、今よりもさらにいっそう息切れしていかざるをえない。

予算問題で議会審議が空転して紛糾しているアメリカで、ウクライナ向けの予算をイスラエル支援に回すべきだと主張するグループも登場してきたのは、三つの戦争の構図に直面しているアメリカの苦しい立場を象徴する現象だ。

机上の空論で言えば、欧米諸国にとっては、どれか一つの対立に資源を集中させていくことが合理的な判断であるかもしれない。実際のところ、少なくとも時間軸に応じて、ある程度はそのような発想がなければ、乗り切っていくことはできないだろう。全ての戦線に巨大な資源を投入して同時に勝ち切っていくことは、極めて難しい。

だがそのような簡単な操作ができないために、泥沼の構図に陥っている。ロシアを軽視していれば、ロシアが冒険的な行動に出る。中国への関心を低下させれば、中国が攻勢に出てくる。イスラム過激派勢力対策を終わった話と誤認してしまえば、足をすくわれる事件に直面する。三正面作戦が非現実的である一方で、単純な一点集中もまた現実的ではない。時間軸を見据えた政策資源の配分を可能にする優先順位付けの見取り図が必要となっている。

日本の立ち位置と役割

ハマスのテロ攻撃でひそかに明らかになっているのは、日本の曖昧模糊とした立ち位置だ。日本は伝統的に、中東政策全般で、欧米諸国よりも中東諸国の意向に配慮した態度をとってきている。今回のハマスのテロ事件後も、非人道的な行為を非難しつつも、暴力のエスカレーションの回避を求める、といった曖昧な言い方をしてきている。欧米諸国のように積極的にイスラエル支援を打ち出してイスラム圏との反目に巻き込まれるのを避けたいという意図の表れで、それは曖昧な範囲で、効果を持っているだろう。

だが日本にとって、同盟国・友好国である欧米諸国の権威が失墜し続けるのは、望ましいことではない。もちろん日本にできることは限られている。それを当然として冒険的な態度に出ることは控えるとしても、ただ曖昧なだけでいいとも思えない。

ロシアのウクライナ全面侵攻以来、岸田首相をはじめとする政権高官は、「国際社会の法の支配」の重要性を訴えてきている。イスラエル・パレスチナ問題に接しては、「国際社会の法の支配」を言うことを控える、というのは、全く望ましくない。あるいは欧米諸国の建設的な関与を引き出すためにも、実際のところカギとなるのは、「国際社会の法の支配」だ。

蛮行に対抗して市民を保護するための「イスラエルの自衛権の行使」については、支持や理解を表明していい。他方、その自衛権の濫用を少しでも予防するため「国際人道法にのっとった武力行使」の重要性を愚直に訴えていくべきだ。ハマスだけでなくイスラエルの戦争犯罪行為も、指摘あるいは糾弾していかなければならない。またイスラエルの占領が国際法違反であることも、繰り返しあらためて確認してよい。欧米諸国にも、できるだけその方向性で協調してもらえるように、働きかけるべきだ。

現状でいきなり中東和平のようなものを訴えるというよりは、ガザ住民のための人道回廊の設置や、人道援助機関のアクセスの確保などの具体的な課題に言及して、真剣さを見せたい。しかも「文民の保護」という国際社会で普遍性を持つ規範に訴えていきながら、主張していきたい。

混迷する中東情勢に、明確な座標軸がないように感じられるだろう。しかし前に進むための手がかりは、自らが標榜しているはずの「国際社会の法の支配」にこそある。