りりィのヒット曲「私は泣いています」秘話 「ナオコちゃんのために作ったから歌って」と言われた

りりィの巻

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 アタシが歌いたいなぁって思う曲って、どこか同じにおいをもっているの。
 若いアーティストさんたちが最近、世界観っていう言葉をよく使うでしょう。それに似ているけど、ちょっと違う。空気感とでも言ったらいいのかな。「同じじゃん」て言われそうだけど、違うのよ。中島みゆきちゃんの曲なんて歌詞の内容が深いから、聞いてくださっている方に伝えるのってすごく難しい。だから、その曲がもっている空気感をなんとか伝えようと思って努力しているわけなのね。
 で、その同じにおいをもっている曲って、歌い手さん自身が作っていることが多いの。だからシンガー・ソングライターの曲に引かれるのね。浅川マキさん、山崎ハコさん、ロックをやる前のカルメン・マキさん……この人たちの空気感が好きなの。わかるでしょ?
 前置きが長くなったけど、りりィもそのひとり。りりィとは、アタシが10代の頃から友達。知り合ったのはりりィがデビューしたばっかりで、確か20歳くらい。たばこをブカブカ吸いながら、お酒をガンガン飲んでた。どこかすれた感じだったけど、彼女とはすぐに親友といってもいいくらいの仲になれた。

 りりィといえば女性シンガー・ソングライターの草分けみたいな存在で、なおかつ女優としても素晴らしい才能の持ち主。故・大島渚監督の映画「夏の妹」にも出演していましたよね。
 ほとんど知られていないことなんですけど、りりィの大ヒット曲「私は泣いています」は、実はアタシのために作ってくれた曲なんです。知らなかったでしょ。「ナオコちゃんのために曲作ったから歌って」って、そのとき初めてギター一本でりりィが歌うのを聞いたんです。それが素晴らしい曲でね。
 でも、この曲はりりィが歌わなければ良さが伝わらないと思った。りりィのあの声だから、あの曲が生きるの。「りりィが自分で歌った方がいいよ」と返しました。あの声で歌わなければミリオンヒットにならなかったと思う。
■遺影の前で誓ったこと
 確かな話ではないけど、りりィが生まれる前にお父さんを朝鮮戦争で亡くして、続けてお母さんとお兄さんも失った。17歳で本当にひとりぼっちに。そんなりりィじゃなければ、あの曲を歌いきることはできなかったと今でも思っています。

 2016年11月、コンサートツアー中にりりィの訃報が届いた。次は2日後の秋田でのコンサート。どうしても最後のお別れをしたくて、福島でのコンサートが終わった後に、りりィのお通夜が行われている千葉の鴨川に向かいました。そして遺影の前で誓ったの。「この歌はアタシが歌い続けていきます」って。
 (構成・藤井優)