旧島津藩と旧飫肥藩 和解の交流射会 「四半的」を生んだライバル

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弓の腕を競った旧島津勢と旧飫肥勢=2023年3月21日、宮崎県日南市、寺師祥一撮影

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握手をする原田賢美・日南酒谷代表(右)と坂元茂木・都城島津副代表=2023年3月21日、宮崎県日南市、寺師祥一撮影

旧島津藩と旧飫肥(おび)藩が弓で対決! 宮崎県の日南地方に伝わる弓の競技「四半的(しはんまと)」の交流射会が3月21日、日南市で開かれ、島津領だった同県都城市で活動する都城島津チームと、飫肥藩の城下町だった日南市の日南酒谷チームが、弓の腕前を競った。

四半的は、的までの距離が4間半(約8・2メートル)、弓と矢の長さが4尺半(約1・4メートル)、的の直径が4寸半(約14センチ)と、すべて「四半」のルールで競う。

日南市史などによると、1568年、戦国大名の伊東義祐が、島津忠親のいた飫肥城を攻めた。その際、竹製の弓で武装した農民が島津勢を圧迫して勝利した。この功績により、伊東が農民に娯楽目的で弓を持つことを許可したのが、四半的の始まりとされる。

射会は四半的の歴史を踏まえ、交流のあった両チームの代表が「両藩の和解を」と企画。1人が10射を3回ずつ行って的中した数を競い、日南酒谷チームに軍配が上がった。(ライター・寺師祥一)