日銀がここまで頑なに「緩和」をやめない“本当の理由”とは

3月9日に経済学者の植田和男氏が総裁に就任することが国会で承認され、注目の的となっている日本銀行。

10年にわたり、黒田総裁の下で異次元の金融緩和を進めてきた日銀は、今や日本にとって「リスクの塊」となりつつあると、日本総合研究所の調査部で主席研究員を務める河村小百合さんは指摘します。

異次元緩和を「死守」する日銀の態度の裏には何があるのでしょうか。

現代新書の新刊『日本銀行 我が国に迫る危機』から、日銀が利上げに踏み切れない本当の理由を分析するパートをお届けします。

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頑なに金融緩和を「死守」する日銀

我が国でも、欧米各国ほどの高インフレではありませんが、2022年4月以降、消費者物価の前年比は、目標の2%を大きく上回る状態が、本稿執筆時点(2023年2月)ですでに10ヵ月、続いています。しかもこの間、外国為替市場では円安が急激に進展しました。

にもかかわらず、日銀は、2022年12月には10年国債金利の許容変動幅を拡大しただけで、イールド・カーブ・コントロールによる金融政策運営の枠組み自体は「死守」し続けており、あれだけ民間銀行に負担を強いているマイナス金利政策も決して解除しようとはしませんでした。日銀がここまで頑なな姿勢を取り続けるのはなぜなのでしょうか。

プロローグで述べたような日銀が言うところの表面的な「理由」ではなく、本当のところは、もっと深刻な別の理由があるはずだと私は思います。日銀関係者はこの本当の理由について、自分たちからは決して口にすることはありません。

それは、どうでもよい問題だからではありません。それどころか、中央銀行として、また民間銀行と同じ「銀行」として、金融政策運営やそれ以外の業務運営を続けていくうえで決して看過するわけにはいかない重要な問題です。そんなことは、日銀関係者は諸外国の中央銀行の当局者たちと同様、最初から百も承知のはずです。

国民全体が金融や金融政策、中央銀行に関する理解が乏しく、また「お上頼み」志向が強いことをよいことに、日銀関係者は、この「本当の理由」について世間で触れられたり問題視されることがないように、ひたすら国民に対して隠そうと、もしくは大した問題ではないとごまかそうとし続けているように私には見えます。

利上げ局面で日銀に起こりうる最悪の事態

その「本当の理由」とは何か。日銀はこれまで、これほど大規模な異次元緩和を、これほどの長期間続けてきてしまった結果、ひとたび利上げ局面に入れば、中央銀行としての財務運営はたちどころに悪化し、赤字に転落するのが確実な状態にすでに陥っているのです。

しかもその状態が数年続くだけで日銀は債務超過に転落するうえ、数十兆円単位、場合によってはそれ以上の相当に大幅な債務超過状態が、数年とか10年という程度の期間では済まず、数十年単位で長期化する可能性すらあるのです。一国の中央銀行がそうした状態に陥る、ということはその国の通貨が信認を失うこと、言い換えればその国自体が、世界の他の国々から、経済取引を行う相手として信用されなくなるであろうことを意味します。

中央銀行というのは、独自の収益源を持っているような経済主体ではありません。あくまで、民主主義社会のもとで然るべき手続きを踏んだうえで徴税権を行使できる政府と一体の存在で、その政府から通貨(正確には紙幣)の発行を独占的に担うことを任されているという立場です。

ですので、中央銀行が毎年の業務運営を行って剰余金が発生すれば、国庫に納付するのが当然で、日銀ばかりでなく、どこの国の中央銀行もそうしています。それとは逆に、中央銀行が赤字に転落したり、赤字が続いて債務超過状態に陥り、それが長期化して自力で収益を回復できる見通しが立たない、となった場合には、その穴埋めは、今度は政府の側から、私たち国民が納める租税を充当して補填するよりほかにありません。

突然、そのようなことになれば、国民からは、「異次元緩和にそんな深刻な副作用や弊害があるとはきいていない」「日銀は今まで何度となく、国会や記者会見の場で「出口」問題をいったいどうするのかときかれてきたのに、何も答えてきていないではないか」と強い反発や批判が出るのは間違いありません。

利上げで日銀にのしかかるコスト

これだけの規模で異次元緩和をやってしまった後の局面で、日銀が市場金利の引き上げ誘導をするためには、民間銀行が日銀に預け入れている当座預金の金利(付利といいます)を引き上げる必要があります。利上げをしようとすると、日銀がコストを負担しなければならなくなってしまったのです。

詳しい説明は『日本銀行 我が国に迫る危機』に譲りますが、そのコストをどれだけ日銀が自力で賄えるかをみるために、日銀の運用資産利回りの推移をみると(図表1)、日銀はこれまで長らく超低金利の国債を買い入れ続けてきたうえ、2016年からは10年国債金利をゼロ%近辺に抑えつけるイールド・カーブ・コントロールという金融政策をやってきた結果、日銀自身が買い入れた国債についている利回りの加重平均も低下する一方で、2022年9月末時点ではわずか0.221%しかありません。

図表1

国債以外の買い入れ資産も含めた運用資産全体でみても0.190%しかありません。要するに、日銀が今後、短期金利をわずか0.2%に引き上げるだけで、日銀自身が「逆ざや」状態に陥ることを意味します。しかも現在の日銀の当座預金の規模は約500兆円あります。

日銀が例えば短期の政策金利を1.2%に引き上げれば逆ざやの幅は1%ポイントになりますが、この逆ざやの幅が1ポイント開くごとに、年度当たり5兆円のコストが日銀にのしかかることになるのです。

2年で食いつぶされる日銀の自己資本

図表2は、日銀の近年の経常利益の推移を内訳別にみたものです。国債を実に540兆円も保有しているにもかかわらず、国が日銀に払っている国債の利息はわずか1兆円強しかなく、近年ではETFの収益頼みになっていることがよくわかります。

図表2

この状態で日銀が利上げ局面に入り、当座預金の付利水準を0.2%に引き上げるだけで毎年度1兆円、1%に引き上げれば同5兆円のコストがかかることになります。日銀が金利引き上げ局面に入れば、他の条件(株式市況等)が動かないと仮定しても、あっという間に赤字に転落することは自明でしょう。

しかも、日銀のバランス・シートをみると(図表3)、日銀の自己資本は、準備金や引当金を含めても11兆円強しかありません。日銀も将来、利上げ局面に入ればこうなることはわかっているため、2015年度から国債から得られる利息収入の一定部分を債券取引損失引当金として積み立ててきてはいますが、とてもそれで賄えそうな赤字の幅ではないのです。

図表3

日銀の赤字が年度当たり5兆円となれば、ほぼ2年で自己資本は食いつぶしてしまうことになります。そうなれば、正真正銘の債務超過転落です。利上げで赤字となる期間が1年や2年で済む保証はどこにもありません。むしろ長期化する可能性の方が高く、ひとたび、債務超過にまで転落すれば、相当長期化する可能性も否定できません。

中央銀行は、民間銀行と同じ「銀行」ではありますが、一国の通貨を発行するその特別な立場ゆえ、債務超過に転落したからといって、すぐに金融政策運営やそれ以外の中央銀行としての様々な業務運営が継続できなくなるわけではありません。

しかしながら、インフレが相当に進行しているのに、中央銀行が、自らの債務超過幅がさらに悪化することを避けようと、十分な利上げを行わなければ、インフレはさらに進行します。そうなれば、同じ100円や1万円でも、実際に買えるものの量が少なくなるわけで、円という通貨の実質的な購買力は損なわれることになります。

つまり、その通貨の信認が大きく損なわれる可能性が極めて高くなります。どういうことが起こるかというと、我が国を含む多くの国々が外国為替の変動相場制を採っている今日の国際金融市場において、円は大幅に売られることになるでしょう。

「利上げに踏み切りさえしなければ」

日銀が異次元緩和を始め、漫然と続けてすでに約10年が過ぎました。確かに、今は何も起こってはいませんが、この先、日銀が利上げ局面に入れば間違いなく起こるのはこういう事態なのです。

逆に、利上げに踏み切りさえしなければ、インフレの進行が放置されるリスクは高まりますが、日銀は赤字にも債務超過にもなりません。このことこそが、日銀が超金融緩和からの転換を頑なに拒み続ける本当の理由なのだろうと私は思います。いかに当局者たちが口を閉ざそうとも、背後にはこうした深刻な問題が隠れていることを、私たちはきちんと認識しなければならないと思います。そして、「本当の理由」は、実はもう一つあります。