生き方そのものに裏づけられた大江文学、読者に大きな感動…大江健三郎さん死去

ノーベル文学賞作家の大江健三郎(おおえ・けんざぶろう)さんが3日、老衰で死去した。

 日本文学史に残る名作を残した大江健三郎さんは、「書く」ことと同時に何より「読む」ことを大切にした人だった。ただ読むのではない。「真面目な読者とは、『読みなおすこと』をする読者のこと」と語り、決めた本を何度も読んだ。

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ノーベル賞授賞式で賞状を手にする大江さん=1994年12月撮影

 その原点は、愛媛県の田舎で育った子ども時代にある。戦中から戦後の厳しい時代、母が手に入れた「ニルスのふしぎな旅」と「ハックルベリー・フィンの冒険」の2冊を読みふけり、物語の楽しさに目覚めた。

 松山での高校時代、フランスのルネサンス文化を語る渡辺一夫の著作に感銘を受け、著者が教える東大で仏文学を学ぶ決意をした。上京後は国内外の文学作品に浸り、創作を始めた。

 <死者たちは、濃褐色の液に浸って、腕を絡みあい、頭を押しつけあって、ぎっしり浮かび、また半ば沈みかかっている>

 初期作品「死者の 奢おご り」の一節だ。生硬でイメージ豊か。読んだ言葉が、文学の言葉となり自らの体からあふれ出したかのようだ。

 英国のエリオットやブレイクの詩、ロシアの批評家、バフチンの文芸理論、米国の思想家、サイードの思想書。海外の数多くの書物に影響を受け、時に難解と言われながら執筆を続けた。

 東京・成城の自宅を取材で訪れた2014年。和洋の書が詰まった本棚を背に、大江さんは、「本を読み、書くうちにそれが習慣になり、経験が積み重なって困難を乗り越えさせる。その経験が自分という作家を作り、人間を作ったのです」。刊行したばかりの岩波文庫の自選短編集の本の背を愛おしそうに何度もなでながら振り返った。

 戦争の時代に幼年期を送った大江さんは、戦後の新しい時代を生きる際、武張ったことから最も遠い本を読み、書き、文学に導かれて生きることを自分の生のスタイルとして選んだ。障害を持った長男の誕生と共生、親友で義兄の映画監督の伊丹十三の突然の死、核兵器の恐怖や戦争が絶えない現代への憤り。様々な困難を、読み、書く生活を続けることで乗り越えた。

 「個人的な体験」「万延元年のフットボール」。大江文学が大きな感動を与えるのは、生き方そのものに裏づけられているからだ。その作品群は、次の世代に読み継がれることを待っている。(文化部 待田晋哉)