石器へのこだわり、遠方との交流 弥生時代の宮崎テーマに企画展

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近畿地方との交流をうかがわせる「絵画・記号文土器」=2023年1月24日午後1時36分、西都市三

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県内で出土した土器は他地域の文化の影響を色濃く受けている=2023年1月24日午後1時46分、西都市三宅、大野博撮影

 道具の素材が石から青銅、そして鉄へと移っていくという教科書的な弥生時代のイメージとは違い、石器が使われ続けた。他方、土器からは他地域との活発な交流がうかがえる――。そんな県内特有の弥生時代像を解き明かす企画展が19日まで、宮崎県西都市の県立西都原考古博物館で開かれている。

 狩猟採集の縄文時代から稲作農耕の弥生時代へ。二つの時代を隔てる最大のトピック、イネの到来は、南部九州も北部九州にそれほど遅れることはなかったとみられる。県内で特徴的なのは、稲の穂を摘み取る「石包丁」の出土数が弥生時代後期に急増していることだ。

 石包丁は一般的には弥生時代の終わりごろには鉄製の「摘鎌(つみがま)」に置き換わったとされるが、宮崎では古墳時代前期まで使われたとみられる。

 石を磨いてつくった矢じり「磨製石鏃(せきぞく)」も同様だ。鉄製の矢じりが出土する弥生時代の遺跡は県内では少なく、多くの地域では石鏃の製作・使用が古墳時代まで続いていたとされる。

 他方、県内で出土する土器の分析から浮かび上がるのは、海を隔てた遠方との活発な交流だ。

岡山県広島県東部にあたる吉備など瀬戸内系の土器は、沿岸部だけでなく、都城市や五ケ瀬川上流域など内陸部からも出土。瀬戸内で製造されたもののほか、瀬戸内から来た職人が宮崎の土で焼き上げたとみられるものもある。飛ぶ鳥を思わせる絵などが描かれた「絵画・記号文土器」は、近畿との交流を示唆しているという。

 学芸員の加藤徹さんは「当時の宮崎は鉄器の流通圏から外れた辺境だったという説は近年では否定されており、物資の交易のみならず、広い範囲での人の移動も活発だったと考えられます」と話す。瀬戸内などと南西諸島方面との交易の中継点だったとの説もあり、さらなる研究が待たれる。

 入館無料。月曜は休館。(大野博)