成田悠輔さん「高齢者は集団自害」発言炎上の先にある、“待ったなし”の議論について

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 世界的に大変なことになっている成田悠輔さんの「高齢者は集団自決した方がいい」という過激な発言で、日本社会らしいキャンセルカルチャーの嵐が吹き荒れているようで、先日もソニーの子会社が企画していた成田悠輔さんと中村伊知哉さんの対談企画が無事中止になるという事案がありました。

人間だものでは済まない事案にまで発展してしまい

 国内で成田悠輔さんが過去に放言した内容なら国内社会で議論すればそれで済むべきところ、弁護士の渡辺輝人さんに「発掘」され、それが共産党クラスターで回覧された結果、お気持ち報道でたびたび物議を醸すニューヨークタイムズの東京特派員に英字記事にされて英語圏で問題となりました。

 イエール大学の助教(Assistant Professor)で、学業界で終身的な就業保障も意味するテニュア(終身在職権)がないという立場の成田悠輔さんにとっては、文字通りキャンセルカルチャーの被害者となったわけであります。

 思い返すに、過去に「人工透析患者は〇せ」で業界的に干されてしまった長谷川豊さんや、コーネリアスの小山田圭吾さんが東京五輪開会式の楽曲担当であることが発表された途端、障害者いじめ問題が掘り起こされてSNSで炎上するなどの問題と同義のものであり、これはもう人間だものでは済まない事案にまで発展してしまっておるわけですよ。

 その結果として、なぜかMMT論者でれいわ新選組の経済ブレーンを自認する池戸万作さんをネット番組で盛大にボコった成田さんの炎上によって、池戸さんの経済理論も認められるのだと吹聴してる人たちも視認されますが、いや、それとこれとは関係ねえから。

公園で遊ぶ子ども連れにケチをつけるのを見てると…

 で、1カ月ほど前に記事でも指摘しましたが、一連の過激な成田さんの発言についてはあくまでメタファー、比喩なのであって、その意味するところは「社会において権力を持つ高齢者が、社会の実態を知らずに政策に関与することは、単なる老害批判に留まらず社会全体にとって困ったことになる」という内容です。

 それも、2025年に向けて、日本社会の最大の人口ボリュームゾーンである団塊の世代が後期高齢者入りし、それまで無駄に強い団結力と無駄に強靭な肉体を誇ってきたこれらの世代もさすがにくたびれてきました。島耕作みたいなのが山ほどいて元気だった時代はほんとウザかったですね。昔はお前ら団塊の世代が一番騒がしかったのに、いまでは静かな老後を暮したいと公園で遊ぶ子ども連れにケチをつけるのを見てるといかがなものかと思う人がいてもおかしくはありません。

 そんな団塊の世代がいまの勤労世帯の負担で病院にかかったり介護を受けたり、長生きすればたくさん年金も受け取るわけですから、成田さんでなくとも「どうにかしろ」と言いたくなるのも分からないでもないんですよ。社会保障がもたないのは事実ですから、これはもう明確な世代間対立の構造と言えます。

親の所得制限で子どもが手当をもらえないのはまずい

 先日も、子育て世帯に対する賛否に世代間のギャップがあることが産経新聞とFNNの調査で明らかになっています。特に児童手当の所得制限撤廃に対しては賛成が60代は35.1%、70歳以上では25.7%しかおらんという現実があります。なんで高齢者は子育て世帯に厳しいのかよく分かりませんが、この所得制限撤廃についてはあくまで支援される対象は子どもであって、理屈としては、子どもは扶養される側とはいえ親世帯にいくら所得があってもそれとこれとは別の議論になります。

 子育てが始まって産休・育休期間に入ると、共働きだと特に世帯収入に大きな減少が見られることもあるため、「親と子どもは別人格であり、子どもにも等しく人権がある」ことを考えれば親の所得制限で子どもが手当をもらえないというのはまずかろうと思うわけですね。だからこそ、若い世帯ほど育児で起きる所得の減少を考えれば子どもへの手当は必要だという議論になるわけです。

 他方、これらの子育て支援策に学術的なエビデンスはあるのか、という正面からの疑問を呈する会計検査院・吉田浩さんの強烈なレポートもあるので、ご関心のある方はぜひ一読賜りたいとも思います。

少子化と子育て・就業支援事業の効果の検証
https://www.jbaudit.go.jp/koryu/study/mag/pdf/j19d01.pdf

高齢者の一番の関心事は、自分の健康や支給される年金

 これらの政策予算の効果検証と社会的・政治的な政策要請は常にギャップがあるものです。学術的に正しくても政策に落とし込むのが諸般の事情で難しかったり、逆に政策的にやりたいことだけどどう捻り出しても効果があるというエビデンスがない事案もあります。

 このような問題の典型が少子化対策や子育て支援なのであって、もう子育てが終わった高齢者からすれば、一番の関心事は自分の健康や支給される年金です。自分たちの子どもの世代が経済的に厳しく結婚できなかったり子育てのための費用捻出に苦労していたとしても、「自分は逃げ切れる」と考えれば産経・FNN調査のように子育て支援なんて必要ないと冷淡な態度をとる高齢者も増えることでしょう。

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 そのような問題に直面している日本社会において、成田さんがある種の議論喚起を目指して暴言を吐いたことは、その暴言自体に咎が及ぶのは仕方がないとしても、本人の身分が剥がされたり、イベントやメディア出演がキャンセルされるほどのものなのか、という議論はされてしかるべきです。

年間100兆円以上も国費を社会保障費に充当させていいのか

 また、成田さんが何を言ってどう炎上したかにかかわらず、近い将来、間違いなく医療制度(医療提供体制)や失業保険などの我が国の社会保障制度は、考えられていた予算を超えて高齢者の生活のために費消されることが予測され、必然的に制度改革をどうするのかという議論をせざるを得なくなります。なにぶん、高齢者の医療負担や介護に関しては求められる限り青天井で認められるものであって、その予算を担う勤労世帯が細り、高齢者が増えたら立ち行かないのも当然と言えます。

 もともと、優秀な理系の子どもたちが続々と国公立大学の医学部を目指す日本社会において、社会的にもはや富を生まない高齢者のために減っていく貴重な理系人材を医師としてコストをかけ養成し、日本社会や経済の成長に資することのない高齢者を生きながらえさせるために年間100兆円以上も国費を社会保障費に充当させていいのか、という議論はどこかで賛否両論立ててやるべきです。

 志高く人の命を救いたいという献身的な医療従事者の努力によって日本の標準医療は支えられ、またコロナ禍でも諸外国と比べて対策がもっとも上手くいった国のひとつに挙げられるのですが、少なくとも2040年までは高齢者がどんどん増えていく中で医療への需要は高まるけど、それに見合った経済的余力が日本にあるのかと言われると実に微妙です。ブラック職場の代名詞である大学病院や基幹病院の医局が、2024年の働き方改革施行で「働いた分はちゃんとカネを払え」となると、採算的に立ち行かなくなり、地方の産科などの診療科は続々と廃止になるのではないでしょうか。

 そして、その解がベーシックインカムだよ、税と社会保障の一本化だよ、高齢者集住で介護コストを引き下げる法制だよといった、各種暴論も含めて一度テーブルの上に乗せて、本来はあれこれ議論しなければなりません。

 しかし、高齢者も憲法で認められた一人一票の原則で意見が出せるとしつつ、完全な利害関係者であり、日本は高齢化率がとても高いことを考えれば、いまの政治が高齢者の意向を完全に無視して「高齢者向けの福祉予算を削って、これから生まれる子どもたちや、子どもを生もうと考える出産適齢期の若い女性への経済支援に充当します」というと、高齢者はこぞって反対することになります。

これからの日本で頑張っていかなければならない人たちのために

 さらには、これから100万人単位の引きこもりや、結婚しなかった、結婚できなかった、離婚して再婚のあてがない、伴侶に先立たれてしまって一人暮らしという独身者の割合がどんどん増えていきます。未婚で、子どもなしの割合が増えていくならば、当然のように結婚して子どもを育てている家庭への優遇政策には反対を唱えることでしょう。

 成田悠輔さんの議論が指し示すものは、こういう議論において利害関係者である高齢者や独身者には政治的発言を控えるなどして勇退してもらい、これからの日本で頑張っていかなければならない人たちの意見を汲み取れる社会制度を作りましょう、そうしないと日本社会が駄目になりますよ、という話です。

 同じことは、滅びゆく地方自治体がヤバいので破綻させ再再編しましょうかとか、衰退産業で勤労者が集まらず黒字倒産する企業のために東南アジアから移民を入れましょうとか、ある種の菅義偉政権に代表されるような「いま目の前に起きている問題に対処するために、場当たり的な弥縫策的な政策を実施した」結果、うっかり菅さんや和泉洋人さん周辺が仕事できちゃうもんだから、どんどん話が進んで新自由主義ばんざいみたいな政治になりかけたりもしました。

 そういう問題が表面に出るたび、発言の品格は別として、単なる老害批判ではない、日本社会がより良くなる政策を実現するために高齢者をどう扱うのかという議論はちゃんとやっておいたほうがいいですよ。

ちゃんと議論し直す覚悟がある人がどんどん出てくれば

 蛇足ながら、成田さんを擁護する記事を何本か書いた反響や反論、批判の中に、ふたつ問題があって、幻冬舎・箕輪厚介さんや西村博之(ひろゆき)さんと関係が深いので駄目だという話と、雑誌『世界思想』への寄稿文や成田さんが上梓された書籍に危険思想が入っていてメタファーの論述を持って擁護するのはおかしいという話とがありました。

 前者は単純に箕輪さんが言論人のデスノートというか、駄目になっていく人の瞬間の輝きを幻冬舎からの出版という草刈り鎌で刈り取って暮らしている人なので、彼に近づかれて本を出した人はみんなまあまあ一瞬光って消えていくという点で凄い才能の持ち主であると思っています。どうにかなっているのは堀江貴文さんぐらいでしょうか。

 西村博之さんも同じ箱ですが、基本的に彼はその場その場の切れ味で適当にいいことを言ったり批判したりするだけですので、無視しておけばそれほど問題にはならないのですが、学識のない西村さんとセット売りされてしまって同じ箱に入れられてしまった成田さんは世間知らずだという以上の何かはないのだと思います。

 また、危険思想については成田さんの記事を読む限り、計量的なことに知見はあっても社会的な事柄や制度に関する問題については突き詰めて考えたことがない人物だと思いますし、実際先の記事でも書きましたが成田さんの書いている教育制度に関する理解は周囲から言われたことを検証することなく鵜呑みにしている内容であるため、深く何か危険な思想にかぶれていてその実現のために学術的な見解や立場を使おうとしているようには見受けられません。

 ただし、計量経済学やその方面での実績を見る限り、うっかり優秀であるがゆえに、ここで燃えてむしろ良かったのではないか、とすら思います。

 というのも、ここで本格的に知識人として持て囃され、政府審議会などでホープとして迎えられて彼の言っていることも斟酌して政策に反映させましょうという話でも出ようものなら、起用した政治家や省庁・官邸ごと大爆発をしてしまった可能性さえあります。成田さんのためにも、このタイミングで燃えて良かったのです。どうせイエール大学なんてテニュアをほとんど出しませんし、彼ほどの業績や才能を持っている人であれば、一度睡眠障害を何とかしてから国内でもどこでも再出発できると思いますので。

 そんなわけで、1カ月を超えてなおもカロリー高く黒煙を上げている成田さんが言わんとしていることも踏まえて、ちゃんと議論し直す覚悟がある人がどんどん出てくるといいなと思いました。