漫画家・松本零士さん85歳で死去…本紙で明かした「宇宙戦艦ヤマト」沖田艦長のモデル

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「銀河鉄道999」などのSF作品で知られ、国民的アニメ「宇宙戦艦ヤマト」の制作にも深く関わった漫画家の松本零士(本名晟=あきら)さんが13日午前11時、急性心不全のため東京都内の病院で死去した。85歳だった。
 幼少期から絵を描き始め、16歳で投稿した「蜜蜂の冒険」が「漫画少年」新人王に選ばれデビュー。高校卒業後に少女漫画家として活動し、1958年に上京した。72年、4畳半の下宿を舞台に若者たちの青春群像を描いた「男おいどん」で講談社出版文化賞を受賞。
 74年からテレビ放送された「宇宙戦艦ヤマト」が大ヒットし、アニメブームのきっかけとなった。78年には、鉄郎少年と謎の美女メーテルの冒険を描いた「銀河鉄道999」と太平洋戦争をテーマにした「戦場まんがシリーズ」で小学館漫画賞を受けた。
 2001年に紫綬褒章、10年に旭日小綬章、12年にはフランス芸術文化勲章シュバリエを受章した松本さん。若者らの心をひきつけた魅力のひとつが、鉄道や戦闘機、戦艦の操縦室とみられる部分の細かな精密機器類の画力に加え、「宇宙」という壮大なスケールを舞台に描いたことだ。
松本さんは2012年8月13日付の「日刊ゲンダイ」に掲載された「私の秘蔵写真」でこう語っていた。戦時下、東南アジアの空でイギリス軍と戦闘していた陸軍航空隊のパイロットである父・強さんを振り返った時だ。
■沖田艦長のモデルは父・強さん
「父のことは誇りに思っていました。愛媛の大洲藩の郷士の出身で、狭き門の陸軍士官学校を卒業。航空隊に入り、最新鋭機のテストパイロットなどをしていました」
 強さんは、終戦直後に捕虜となり、赤道直下のインドネシア領レンバン島に送られ、抑留生活を送ったという。松本さんが、日本に戻った父と再会できたのは、敗戦から1年後の夏だったという。
「父から、いろいろ話を聞くのが好きでした。よく話してくれたのが飛行機に乗っている時のこと。南方の夜空を夜間飛行していると、上も下もわからなくなって、星の海を飛んでいるように感じるそうなんです。昼は昼で、海があまりにも澄んでいるから、船が空に浮かんで見えるという。惑星や星雲の話、宇宙人の存在の確率、距離と時間の関係など、ちょっと難しい部分もありましたが、そうした父の話が、後年、僕に宇宙や空を舞台にした漫画を描かせたのだと思います」
 宇宙戦艦ヤマトの沖田艦長のモデルは強さんだと明かしていた松本さん。ご冥福をお祈りいたします。