「国家財政は破綻する」財務次官の矢野論文を評価すべき理由

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プラザ合意の会場となった米ニューヨークのプラザホテル。(※写真はイメージです/PIXTA)

財務省事務次官の「矢野論文」が話題になりました。これはいい機会で、財政再建と経済再生のどちらを優先すべきか、政官財学、メディアの各界は大いに論争し、最適解をめざせばいいと思います。日本経済の分岐点に幾度も立ち会った経済記者が著書『「経済成長」とは何か?日本人の給料が25年上がらない理由』(ワニブックスPLUS新書)で解説します。

経団連は日本経済の再興を牽引すべき

■「義」は日本を再興させられるのか

2021年6月に経団連会長に就任した住友化学会長の十倉雅和さんは、孔子の言「義を見てせざるは勇無きなり」を肝に銘じて“財界総理”を引き受けたそうです。

平成バブル崩壊後、30年にも及ぶ日本経済の空白が続くなか、新型コロナウイルス禍を受けて、ようやく日本型資本主義の原点である「義」の精神に目覚めたのかと言うと「古臭い」と言われるかもしれません。

果たして「義」は日本を再び豊かにできるのでしょうか。

2012年末にアベノミクスが始まっています。アベノミクスでは日銀が円資金を大量発行し、金融市場に流し込みました。その成果は実体経済よりも海外向けの投融資、即ち対外債権の急増となって表れました。それに沿うように中国の対外負債が膨らんでいます。コロナ禍の2020年は日銀資金、日本の対外債権と中国の対外負債、3つとも伸び幅が増えています。

GDPは、日本がアベノミクス元年の2013年度が5.21兆ドル(508兆円)、2020年が4.97兆ドル(538兆円)で、中国はそれぞれ9.57兆ドル、14.7兆ドルです。日本の成長は滞り、中国が順調に成長していることは明白です。

統計学でいう相関関数(最大値は1)は同じ期間、日銀資金と対外債権が0.95、対外債権と中国の対外負債が0.88といずれも完全相関に近い値です。日本は謂わば、お金を国内用にほとんど回さないで、海外に輸出しています。

中国は日米欧などから投資を呼び込む、つまりお金を輸入して、経済力を高めるのみならず、海外ハイテク企業や資源の買収や発展途上国のインフラ投資を存分に進めてきています。

勿論、日本から溢れ出るすべてのお金が直接中国に流入するわけではありません。グローバル化の極みである国際金融市場はニューヨークのウォール街、ロンドンのシティを問わず、日本の余剰資金を吸い込み、仲介役の大手の金融資本を通じて“成長市場”の中国に再配分されるのです。

お金はより高い収益が見込める国へと向かうのが市場原理です。本来は、それが世界経済を調和させます。しかしブラックホールのような中国は、余剰資金を吸引しては巨大な脅威となって周辺国を脅かし、覇権国アメリカをたじろがせているのです。

中国は人権や民主主義という戦後世界の普遍的ルールを踏みにじってやむことがありません。武漢発でパンデミックを引き起こしたのにも拘わらず、国際社会が求めるコロナ発生源の解明には協力を拒み、挙句の果てにはコロナ制圧で成果を挙げた台湾の世界保健機関(WHO)総会へのオブザーバー参加すら拒絶しています。

武漢発コロナ感染に苦しみ、中国からのワクチン提供やインフラ投資に頼る途上国の多くはそんな中国を支持するという倒錯ぶりです。

しかも「対中包囲網」を唱えているバイデン政権のアメリカ自体、中国製品や原材料の輸入に依存するばかりか、銀行や投資ファンドが対中金融ビジネスで高収益を追い求めています。対中強硬論を議会で証言したイエレン財務長官も、劉鶴副首相とのテレビ会議で協力の重要性を力説する始末です。

ここまで中国を増長させる元凶は国際金融市場です。世界で動き回るお金に色はなく、ゼロ金利の円の余剰資金は容易に基軸通貨であるドルに替わり、いまや習近平政権が政治面でも完全掌握した国際金融センター・香港経由で中国に超低金利で投融資されます。

日本の四半世紀にも及ぶ慢性デフレが引き起こすカネ余りに終止符を打つことこそが、中国の横暴を抑えるうえで欠かせないはずです。

十倉経団連会長は経済安全保障を重視して、政府と緊密に連携すると述べています。さらに「株主第一主義」も見直すようです。いまの経団連の前身は経済団体連合会(旧経団連)と日本経営者団体連盟(日経連)です。

旧経団連の土光敏夫さんは「国士」でならしました。ミスター日経連と称された桜田武さんは企業の時価発行増資について「べらぼうめ、そんなもので儲けるんじゃない」と一喝しました。

いまなすべき義とは、企業や金融機関が脱中国に向け、国内投融資を最優先し、日本経済の再興を牽引することではないでしょうか。

財政再建と経済再生のどちらを優先?

■渦中の次官寄稿は好機になる?

財務省の矢野康治事務次官が『月刊 文藝春秋』2021年11月号への寄稿で、政界が「バラマキ合戦」を演じていると断じ、「タイタニック号が氷山に向かって突進しているようなもの」と、財政破綻を警告しました。

本連載をここまでお読みになった読者には理解していただけると思いますが、これはいい機会です。この際、財政再建と経済再生のどちらを優先すべきか、政官財学、メディアの各界は大いに論争し、最適解をめざせばいいと思います。

給料が増えないのも、「安いニッポン」に成り下がったのも、すべて経済成長を軽視したことが原因です。 詳しくはこちら>>>

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詳しくはこちら>>>

私は財政論で矢野さんとは対極の立場ですが、「矢野さん、よくぞ言った」と評価したい。なぜでしょうか?

財務省の高官たちはこれまで、政治家、財界要人、学者・エコノミスト、さらに言論界に水面下で工作し、相手を財務省寄りにマインドコントロールしてきたと言っていいと思います。それによって彼らが矢面に立つことなく、マインドコントロールを施した人たちに経済政策を導かせてきました。

しかし、国家経済と国民生活の命運にかかわる重大な政策形成が不透明では困るのです。

先述しましたが、財務省は一般会計と特別会計、合わせてGDPの5割前後相当の資金を取り仕切っています。政治家は選挙区での各種事業への予算獲得に汲々とし、財界は法人税減税を訴え、大学は研究予算の査定を気にし、一部の学者は「財政均衡化」を唱えては経済関連の諮問委員の座を狙います。

多くの記者は財務官僚のブリーフィングなしには複雑な財政記事を書けません。

つまり財務省の意向に逆らうのは難しいのです。

ここまでデフレ下の消費税増税に反対してきたことに触れてきましたが、私は何度も産経新聞社に訪ねてきた財務省高官と対話しました。新聞が消費税の軽減税率適用を受けられるかどうかは、新聞社経営上の重大懸案ですが、産経では自由に書くべきことを書かせてもらっています。言論を曲げることはメディアの死を意味するからです。

橋本龍太郎政権が1997年度に踏み切った消費税増税と緊縮財政以来、日本が慢性デフレに陥り、年平均の経済成長率は0%前後という恐るべき長期停滞を続けてきました。そればかりか、財政収支も悪化の一途をたどってきました。

私はその事実を同省高官にデータで示すのですが、彼らは反論もコメントもしません。かわりに、「社会保障財源確保のためには消費税増税が必要です。ご理解のほどを」と繰り返すばかりです。

毎度のことながら、日本の「ザ・ベスト・アンド・ブライテスト(最良にして最も聡明)であるはずのエリートがこんなざまではと、暗然とさせられたものです。

その点矢野さんは違います。政権や与党の怒りを買えば、自身の地位を危うくするかもしれないのに、昂然と財務省論理を展開しました。いわゆるリフレ派の論客たちによる批判の嵐にも立ち向かう姿勢を示しました。

その動機は恐らく、先輩、同僚たちの政治への忖度に対する怒りでしょう。例の森友学園問題では公文書を改竄し、その場限りで済む大型補正予算など「バラマキ」要求には唯々諾々と従う。矢野さんはこれらについて同寄稿で〈血税で禄を食む身としては血税ドロボウだ。〉と自らを責めています。

その公僕精神やよし!

でも、真に恥ずべきは歴代政権を誘導した均衡財政主義が不毛な結果しか生まなかったという、重大な誤りではないでしょうか?

民間需要の呼び水の役割を果たすべき

矢野さんは同寄稿で、一般会計税収が増えないのに歳出が増え続けることを〈「ワニのくち」が開く〉と論じ、財政破綻危機を警告しています。少子高齢化の日本では税収を増やせるだけの経済成長は無理だ、増税や歳出削減で財政均衡を果たすのが先決だとの主張です。

しかし、そんな緊縮財政路線が国民経済を萎縮させ、デフレ病を慢性化させ、肝心の財政収支悪化を招いてきたのではないでしょうか? そして、勤勉な国民は生活を切り詰めて現預金など金融資産を貯め込んできたのです。細る内需に見切りをつけた企業に資金需要は乏しい。そうなるとお金は政府の財政赤字に充当されると同時に、海外の金融市場に回ってドル金利を押し下げます。これで喜ぶのは巨額のドル資金を調達したい中国です。

慢性デフレの始まった1997年度末と本年(2021年)度6月末の部門別純金融資産(マイナスは純負債)を確認すると、政府負債と海外の対日負債が家計の純資産によって支えられています。この間の増加額は家計純資産が758兆円で、一般政府純負債が567兆円、海外の対日負債が261兆円です。

ここまで述べてきたように、資本主義経済の原則は負債が増えないと資産が増えないということです。デフレ日本では政府が負債を増やすことで家計の資産を増やしています。家計の資産は大きく、政府の負債ばかりでなく海外の負債さえも支えています。そんな国が財政破綻寸前のタイタニック号であるはずはないのではないでしょうか。

大切なのは、膨大なお金余りの日本は、政府が国債を発行して将来に向けて先行投資して、民間需要の呼び水の役割を果たすことです。国債金利ゼロのいましか、そのチャンスはないはずです。

この私の論に矢野さんはどう応じてくれるのでしょうか、楽しみです。

田村 秀男
産経新聞特別記者、編集委員兼論説委員