掲示板ジャック、わいせつ写真…あきれた選挙ポスターが「ある意味、効果的」な恐るべき理由

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“ジャック”される選挙ポスター掲示板(2024年6月) Photo:SANKEI

東京都知事選のポスター掲示板が、想定していない方法で利用される事案が相次いでいる。大きな批判が目に見えており、一見メリットがないと思われる行為が繰り返される要因は何なのか。経営学の視点で分析してみよう。(やさしいビジネススクール学長 中川功一)

荒れる選挙ポスター掲示板 なぜ批判必至な使い方をするのか

7月に行われる東京都知事選のポスター掲示板に、候補者と無関係な人物や動物などのポスターが多数貼られる「掲示板ジャック」が起こった。また、これとは別に、掲示板にわいせつな写真を貼ろうとした事案もあった(その後、自ら撤去)。東京都選挙管理委員会には多くの苦情が入り、対応に追われることとなった。

掲示板ジャックの件は、今回の選挙に複数の候補者を擁立した政治団体がポスター枠を寄付の形で売却をしての行為だったことも分かったが、党首は「公職選挙法には違反していない」という認識を示しており、物議を醸している。卑猥なポスターの件についても、これを行った候補者が「合法だと思っていた」と説明した。

続発する、選挙を目的外に利用する行為――それは確かに法には違反していない。だが、これらの行為はたとえ適法だったとしても社会を敵に回すだけであり、実行者には何らのメリットもないように見える。

にもかかわらず、どうして選挙を想定される目的以外の方法で利用する人がいるのだろうか。

その理由はシンプルである。

1to1マーケティングの成れの果て… 1人に痛烈に刺さればよいという考え

現代マーケティング的には、世間に嫌われても、一部の人に深く刺すほうが正解だからだ。実際のところ、選挙制度、政治制度を目的外利用する人々は、これまでそのような振る舞いによって「利益を得てきてしまっている」のだ。

昭和の時代ならいざ知らず、もはや現代はみんなが同じビールを飲み、同じような背広を着て、同じドラマの話題をするような時代ではない。単一の製品・サービスをテレビなどで連呼する「マスマーケティング」はとうの昔に終わりを告げている。

ライフスタイルに応じた差別化をする「セグメント・マーケティング」ですらない。それぞれが異なる趣味嗜好をもち、企業はそれに対応していく「1to1マーケティング」が既に社会に浸透している。

八方美人な商いには限界が来ており、企業には個人のニーズへの細やかな対応が求められるようになっている。アプリも、クルマも、アイドルも、個別対応する時代である。

そんな時代においては、世間一般的には「倫理的に誤りである」とみなされたとしても、今の社会の何かに不満がある人に痛烈に刺さればよいのだ。その痛烈に刺さった一人から1億円を出してもらうほうが、1万人から1万円を出してもらうよりも、はるかに容易なのが現代社会なのである。

こうした社会の到来は、実は1960年代には予言されていた。

「悪名は無名に勝る」 何としても注目を集めたい人たち

経営学、行動経済学、さらにはAIの基礎理論にすら貢献した、ノーベル経済学賞受賞の経営学者ハーバート・サイモンは、人間の思考能力とその限界を研究していた。

サイモン氏の主要な研究成果の一つが、「人の合理的思考能力の限界」(限定された合理性:Bounded rationality)である。私たちが注意を向け、思考することができる対象はごくごく限られていることを指摘している。

サイモン氏は、情報過多となる将来の社会において、私たちの認知能力こそが最も希少な資源になり、価値を持つ時代になるだろうと予言した。これは後世において、「アテンション・エコノミー」と呼ばれる概念となる。アテンション、つまり私たちの注目や関心が、経済的な価値を持つのだという話である。

24時間のうち、自分の人生と直接的に無関係なことに意識を向ける時間はどれくらいあるだろうか。

SNSを見ている時間、まとめサイトを見ている時間、ニュースを見ている時間などを合わせても、20~30分ぐらいではないだろうか。

現代社会においては、この限られた人間のアテンション、認知能力を企業やさまざまな人々が奪い合っている。そのため、劇場型の演出や、あえて反倫理的なアクションを取ってでも、人々の注目を集めようとする者が出てくる。

この世に生まれた人間の大半は、見ず知らずの他者から関心を得ることはない。そんな中で、ニュースになるような行為を行うことで、ようやく人々のアテンションを得られる。悪名は無名に勝る。

「ザイアンス効果」とは? 「一理ある」と思ってしまう怖さ

私たちの認知能力が恐ろしいのは、そこから先である。

私たちは当該人物の話を何度も聞いている中で、そこにも一定の理があることを見いだしてしまう。私たちは、何度も接触しているうちに、相手に好感を抱くようになる。この事実を発見した学者の名を取り、ザイアンス効果(単純接触効果)と呼ばれる。

私たちの脳は、繰り返される不快な刺激に「慣れる」ようになっている。飛行機の爆音の中でも眠れるのはこのためだ。繰り返される同じ刺激にはフィルターがかけられる。

あれだけ不快だったものが、脳のフィルターを通して意識を素通りするようになり、不快なものが目に入らなくなってくると、私たちは感じ始めるのだ。「彼らの言っていることにも一理ある」と。

かくして、最初の不快さを通り越すと、人々は反倫理的な行動をとる人々の声を、いつの間にか聞き始めてしまう。不快な行いを取るのも仕方のない理由があるのだ、と自分を納得させ始めてしまう。人の認識能力の要領のよさ、都合のよさが、反倫理的行動を取る人々に力を与えてしまうのである。

ただ、この人間の認識構造と、アテンションに金が流れる社会構造が分かれば、皆さんも適切な対応が取れるはずだ。反倫理的なアプローチを取る人たちの話を聞いているうちに、それも一理あるなんて感じだしたら危ないサインである。

いかに話に理があろうとも、選挙という大切な社会の仕組みの目的外利用だ。性善説で作られた社会システムが悪用されてしまえば、性悪説による社会システムに切り替えざるを得なくなる。

疑わしきを罰する窮屈なディストピアを願わないのであれば、私たちは自分たちで善き社会システムを守っていかねばならない。