故安倍首相の発言が波紋…結局、円安は今の日本に「メリット」をもたらすのか?

昭和の時代とは産業構造が違う

想定以上のペースで円安が進んでいることから、円安が日本経済にとって得なのか損なのか、あらためて議論になっている。為替の変動には常にメリットとデメリットがあるので、絶対的にどちらが得ということはない。だが日本経済の現状を考えると、円安のデメリットの方が大きくなっているのは確かだ。

波紋を呼んだ故安倍首相の発言

先日、あるテレビ番組で、故安倍晋三首相が「1ドル=300円になったらトヨタの車が3分の1で売れる。日本製品の価格が3分の1になる。そうすればあっという間に経済は回復していく」と発言していたことが紹介され、大きな波紋を呼んだ。

image

現実問題として1ドル=100円から300円に下落しても、自動車の価格を3分の1に下げることはできないので、あくまで安倍氏はたとえ話として紹介したものと思われる。だが、為替変動が産業や経済に及ぼす影響は単純ではなく、適正な為替レートについて、国内で十分なコンセンサスが得られているとは言い難い。

日本は原材料や部品を輸入して最終製品を輸出するという、典型的な加工貿易の国として成長してきた。例えばある企業が、1ドルで原材料を輸入し、製品を2ドルで売れば、当該企業の売上総利益(いわゆる粗利)は2ドルから1ドルを差し引いた1ドルということになる(単純化するため製造原価に占める労務費は考慮していない)。

この時、為替レートが1ドル=100円だった場合、当該企業は100円で原材料を仕入れ、200円で売ったことになるので、日本円ベースでは100円の粗利となる。

円安で日本が潤うためには

もしここで為替レートが1ドル=300円になり、売上高が2ドルのままで変わりがなければ、日本円ベースでの売上高は600円になる。だが、同じタイミングで日本円ベースの仕入れ価格も上昇して300円になっているはずなので、粗利は600円から300円を引いた300円になる。

1ドルが100円から300円になっても、仕入れが存在するので、いきなり価格を3分の1にすることはできないものの、日本円ベースでの利益は3倍になっているので、企業が得られる粗利益は増える。これが円安で企業が儲かるメカニズムである。

だが、これで企業の最終利益が増加し、国内経済が活性化するのかというと、そう単純ではない。企業は仕入れと売上高の差分で得た粗利の中から、人件費や広告宣伝費、オフィス代、減価償却費など経費を支払わなければならない。企業が得る最終利益は、これらのコストを差し引いた数字となるので、物価全体の動向がカギを握る。

1ドルが100円から300円になった場合、輸入品の価格は3倍になるので、生活必需品の多くを輸入に頼る日本の場合、広範囲に物価が上昇することになる。

従業員は消費者でもあるので、円安によって物価が上がった場合、生活が苦しくなり、賃上げを強く求めるはずだ。ここで企業が賃上げを行わず、従来と同じコストで経営を続けることができれば、円安によって企業の最終利益は大幅に増える。一方、従業員の生活に配慮して賃金を上げた場合、増えた粗利の分は賃上げで相殺されるので、企業の最終利益はあまり増えない。

つまり、円安によって日本全体が潤うためには、円安による増益の効果が、賃上げによる減益の効果を上回っていることが大前提となる。

昭和はなぜ円安=好景気だったのか

では昭和の時代、今とは比較にならないレベルで賃上げが行われていたにもかかわらず、なぜ、円安が景気や企業業績の追い風になっていたのだろうか。その理由は産業構造の違いにある。

輸出している製品の価格弾力性が高い場合、値下げを実施すると大幅に販売量を増やすことができる。先ほど説明したように、1ドルが100円から300円になったからといって価格を3分の1にはできないが、円ベースで利益が拡大した分までは、理屈上、値引き余地があるので、価格を下げて販売数量を増やす戦略を選択できる。

販売数量を増やせれば商品1個あたりの利益が小さくても、利益総額を拡大できるので、賃上げを実施しても企業の最終利益は増える。加えて、販売量を増やすには、生産ラインなどに対する設備投資も増やす必要があるので、国内経済の拡大にも寄与する。

昭和の時代にはこうしたメカニズムが働き、円安=好景気という図式が成立した。

だが、このメカニズムが成立するためには、製品の価格弾力性が高いことに加え、もともとの賃金水準が低いことが絶対要件となる。価格弾力性が高いということは、簡単に言ってしまえば、価格しか差別化要因がない商品(つまり付加価値があまり高くない商品)であることを意味している。付加価値が高くない工業製品を、低賃金を武器に大量生産するという戦略は、日本がまだ新興国だったからこそ成立したものといえるだろう。

生産拠点を戻すべきか

だが日本が豊かになり、製造業の高付加価値化が進んだ今、日本メーカーが輸出する製品の価格弾力性はあまり高くない。高い価格を維持しても売上高が落ちない反面、価格を安くしかたからといって販売数量を大きく増やすことはできないのだ(日本の技術力が高いというならなおさらだろう)。

加えて、国民の生活水準がそれなりに高い場合、円安によって増大した企業の粗利は、賃上げで還元しなければ労働者を確保することができない。このため今の日本では円安になったからといって、簡単には輸出数量を増やせず、結果として円安のメリットを受けにくい状況となっている。

以前と比較して、円安のデメリットが生じやすい理由は上記で示した通りである。

重要なのはここからである。円安によって日本の相対的な賃金が下がっていることから、国内に生産拠点を戻すべきという声が大きくなっている。筆者もここまで円が安くなった以上、低コストを武器に国内生産を強化するというのは合理的な選択のひとつだと考える。

しかしながら、低コストを武器に国内生産を強化する場合、円安のペース以上に賃金を上げることは難しくなる。

豊かな国になってしまったがゆえ

付加価値が低い製品を大量生産するモデルの場合、賃金が安いことが利益の源泉となる。これはアジアの新興国とコストで勝負することとイコールになるので、この戦略を採用した場合、高いシェアを獲得できるまでは賃金は上がりにくいと考えた方がよいだろう。

これとは逆に、より付加化価値の高い製品への集約化を進め、製品の価格そのものを上げて、利益を増やすという方法もある。先進国としてはこちらを選択する方が望ましいわけだが、これを実現するには日本企業の経営を抜本的に変革する必要があり、相応の痛みや困難が予想される。

日本が豊かな国になってしまった以上、単純に円安で景気をよくするという手法は通用しにくくなっている。途上国型に戻り、もう一度初心に返ってやり直すのか、万難を排して高付加価値経営を追求するのか、私たちは決断する必要があるだろう。